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【3.11】自然災害と人災
- 社会,09_その他
SDGsアドバイザーが講師をつとめる、兵庫県の理科実験教室、キッズアース播磨町校です。
さて、現在、ウクライナにロシア軍が侵攻しています。
実際、戦争に向かっていった当時の日本だって、本来はそんな余裕はなかったはずなのです。
東日本大震災からも10年以上の月日が経ちました。
阪神淡路大震災から四半世紀が過ぎた神戸の街は、往時と同じではないにせよ、観光で訪れた人には、見てそれとは分からないくらいの姿を取り戻しました。
私が東北を最後に訪れたのは2015年になりますが、さらに6年の月日を経て、少しでも、もとの生活がかえってきていればと祈るばかりです。
【3.11から11年】
2011年。3.11の当日、私は「ひょうご環境創造協会」さんの「ひょうご出前環境教室」講師の集まりで、神戸のクリスタルタワーにいました。
震災が起こったその時、ゆっくりと静かな揺れを感じ、会場がざわつきました。会場にいた誰もが、神戸で地震が起きたのだと思ったのです。
まさか、神戸から800㎞以上離れている東北の地で起きた地震の影響だとは思いもよらず、携帯(当時はまだスマホではありませんでした)で調べてはじめて、東北で大きな震災があったことが分かりました。
ニュースで映像も見、その後、東北に足を運んだりもしましたが、「自然災害」の恐ろしさに、圧倒されるばかりです。
先日、兵庫人と防災未来センターを訪れた際も、東北の映像を拝見しましたが、本当に悲しくやりきれない気持ちがしました。
しかし、それでも、命ある我々は、その悲しみを乗り越えて、未来へと歴史を紡いでいかねばなりません。
その意味で、復興というのは、とても大切なことなのです。
【「復興五輪」に意味はあったのか?】
と言いながら、「復興」のレッテルを貼って「東京オリンピック」誘致に大金をかけた東京都、
それを応援し、さらに税金を垂れ流した政権に、本気で「復興」を支援する考えがあったのか、甚だ疑問を感じざるを得ません。
果たして、「復興五輪」は、東北の復興に資するインフラ整備となったのでしょうか。
資材の値段、工賃の吊り上がりで復興の阻害になったのではないでしょうか。
誘致から含めた全額を復興に使っていれば、もっと違う今がありえたのではないでしょうか。
さらに言えば、「復興大臣」という職を、「増えたポスト」くらいにしか考えていなかったであろうことも、任命された人材から見て取れますし、「復興省」を仙台に置くこともしないままでした。
誘致した都知事たち、復興を蔑ろにしてきた首相も、その座を退いた今だからこそ、こういったことに対する反省に立ったうえで、次の10年15年、東北の、日本の未来を見据えながら、より良い復興がなされることを祈念しています。
【自然災害は止められないが…】
理由がどうあれ、街を破壊し、人々の生活を、命を奪う行為が続けられているのです。
もちろん、市民に対する殺戮は看過して良いものではありませんが、軍人だって、人間です。
軍人だから死んでも良いのか、殺しても良いのかと言えば、それも違うでしょう。
さらには、原子力発電所も攻撃対象になり、ロシア軍による制圧も行われていると言います。
震災や津波、火山などの自然災害からいかに生活を守るか考え、
そこからの復旧・復興に力を注いできた日本に住む身としては、
「人」の命令で、災害と同じまたそれ以上の被害を引き起こす行為を平気で行うことは、
許す許さない以前に、到底理解できません。
実際、戦争に向かっていった当時の日本だって、本来はそんな余裕はなかったはずなのです。
にもかかわらず、「為政者」の思惑、「軍部」の算盤、それに迎合する「大衆」、有耶無耶にされる責任、それらの歯車が合わさって、戦争は起こってしまいました。
我々は、いつか見た光景を目の当たりにしているのです。
少しでも、被害が広がる前に、戦争・侵略が停まり、日本が復旧・復興で培ってきた知識と経験が、
平和になったウクライナの地で展開できる日が早く来れば良いと願っています。
- 311,311を忘れない,震災,戦争,戦争と平和,大震災,地震,東日本大震災,防災
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